英語 スクール、イタリア語 スクール、フランス語 スクール:語学スクール。お料理教室もやってます。大阪市 福島区 福島 6-10-14 西 梅田 Mansion



フランス人の友人であるT氏とイタリア語を習い始めたのが2007年の2月だった。 我々の先生ステファノがレッスンを始めると彼の顔はとたんキリッと厳しくなる。 実際、英語講師をしている私にとっては彼のティーチングにも興味が注がれるのである。 様々な文化背景を解し、日・仏・英の言語を操る彼は何語を喋っても自然体そのもの。 これは彼の人間性がもたらすものなのか。 日本の外国語教育(特に英語に関して言えば)は結果重視なため、過程を大切にしない。 言語を習得するということは簡単なものではない。時には厳しさが存在しそして時には道草をする。 私にとって、サボジでイタリア語を学ぶということは、この過程の大切さを学ぶところだと思っている。 サボジのドアを開けるとイタリア語は勿論のこと、英語、フランス語それに日本語の会話が 飛び交う。このような雰囲気の中で言語を学べることは素晴らしいと痛感する。 グロバライゼーションという言葉が珍しくなくなってきた今日、何もかもがマニュアル化されドライに感じるようになって きた。サボジは私にとっては人間臭さを感じさせる粋な場所だと思う。



16世紀の神聖ローマ帝国に君臨したカール5世はラテン語でこんな言葉を残したという。
 
 「Quot linguas quis callet、tot homines valet」

 日本語に訳せば、「話す言語の数と同じ数の人間分の価値がある」。つまり、2カ国語を話せば2人分の、3カ国語を話せば3人分の人生を生きるのに等しいという意味だという。25歳の春に買ったフランス語のテキストにこの言葉を見つけた時、後の人生が変わったのかもしれない。

 イタリア語を始めたのは2年前の1月だった。英語の次に新たな言語をマスターしたい。試行錯誤の自分に決着をつけたのが、前年11、12月のイタリア出張だった。悪戦苦闘しながら、片言のイタリア語を使って料理を注文し、ショッピングで用を足す。英語と違い、発音が日本語に似ているから、何度も聞き返されることはない。とっつきやすさも手伝って、本格的に勉強を始めることに決めた。

 帰国後、インターネットでステファノの名前を見つけた。英語は学校で勉強していたため、マンツーマンのプライベートレッスンは初体験。それはギャップとの戦いで幕を開けたと言ってもいい。イタリア人といえば、底抜けに明るく、大らかで、少しいい加減で、小さなことにこだわらない。ステレオタイプのイメージを抱いてステファノに出会えば、必ず僕と同じ衝撃を受けるに違いない。彼はドイツ人のごとく?少しのミスも聞き逃さず指摘する。そして、正しく理解できるまで、粘り強く指導する。日本人よりも忍耐強く、几帳面。本気でイタリア語の習得を目指す者にとって、彼のような存在は奇跡と言っていいかもしれない(ややオーバー?)

 もちろん、彼を単なる堅物と決めつけてもらったら困る。年に何回か開催されるフェスタ(平たくいえば飲み会)で、陽気にワインを飲み、女の子の写真を撮りまくる。屈託のない笑顔はまさに南イタリア人。その二面性がたまらない(ホンマに?)

 昨年の11、12月に、再び出張でイタリアを訪れた。ステファノの教え子は何の不自由もなくショッピングをこなし、タクシーのドライバーと世間話できるまでに上達していた。そして、2年ぶりに再会した人は驚き、決まって僕にこう尋ねた。「どんな先生に習ってるの???」。彼について説明する僕の顔は自分のことのように誇らしげだったはずだ。



繊維会社で営業事務をしております。仕事ではイタリア語は使用しません。日本語オンリ−です。  イタリア歴は約6年です。真剣に勉強しようと思ったのはここ数年です。初めて、イタリアを訪れたのは、約数十年前です。その時は今みたいにイタリアブ−ムというわけでもなく、こんなにイタリア語ブ−ムでもなかったですね。
この時は英会話をしていたので、現地でも世界共通語である英語は通じると思いきやロ−マ、ミラノの大都市のホテルでは通じましたが、ちょっと外れた町のお店等では英語は通じずビックリした記憶があります。 そんな時、ガイドブックに載っていた、観光イタリア語を読んで行ったものの、何を言っているのかさっぱり分からなかったけど、お互いのやり取りが楽しかったと記憶しています。
イタリアに縁があって再度2度目の旅行をして帰ってきた早々、友人からイタリア語を習いに行こうという誘いを受けて、そうよね−発音は英語と違って簡単そうだし、現地でカタコトでイタリア語を話した時も楽しかった記憶があったので、友人に誘われるままイタリア語の学校を捜して、習いはじめました。(この時はまさか文法がこれほど難しいとは全然知りませんでした。)
どうして、イタリア、イタリア語が好きなのか?  
初めてイタリアを旅した時、町全体が美しく、まるで自分か美術館にいるような感じで感動しました。建物と町との調和がとれており、イタリアのどの場所へいっても、ため息がでるほど素晴らしい。見る事、食べる事、買う事、3拍子揃っている国ってそうそうないですよね!  南へ行けば行くほど、人々が人なつっこいと感じたのは私だけかしら?  
イタリアへ行けば行くほど、現地の人とイタリア語で会話すればするほど、いろんな意味で楽しく、また、勉強にもなります。  イタリア語を初めて聞かれた方は、まるで音楽を聞いているようだ−と言われますが私もそのうちの一人でした。  イタリア語をすればするほど、文法が非常に難しくたいへんな語学と今になってわかりましたが、辞めるに辞められず、今日に至っております。イタリアンマジックにかかったのかもしれませんね!
どうして、ここを選んだのか?  
私がスク−ルを選ぶ条件は先生がネイティブである事。月謝制である事。  
今までに、学校は3回変更してきました。理由は私の条件に合わなかったこととそれに、一番の理由は優秀で人を教える事が好きな先生と出会う事が出来なかった事が最大の理由です。  
その点、この学校の先生は教える事がすごく好きで、優秀で、生徒の弱点をすぐ把握でき、その人にあったテキストで授業を進めていき、生徒に飽きさせない事が素敵だとおもいます。語学に最適なメソッドを取り入れている事も重要なポイントです。



僕は昔から海外に住みたいと常々思っていて、10代の頃から「自分を迎えてくれる国」というのでしょうか、そう いう感じでパックバッカーみたいな事をして10何カ国かに旅をしていました。  元々役者をやっていまして海外で活動したいと思っておりましたので、自分が出演していた舞台や映画のビデオ片手にエージェントを回っていましたが、なかなか現地語を話せない外国人には厳しく、それでも諦めず次の国へとチャレンジしていました。
そして25歳でロシアに行った時にちょっとしたアクシデントがありました。当時中国の指導者ケ小平が亡くなっていた事を知らずにモスクワの街を歩いていたら中国人のゲリラと間違えられて拘束されました。その時の僕のカッコはフライトジャケットにチノパンと迷彩柄の大きいバックにエンジニアブーツというまさに刺激満開の(笑)。
その時の日本大使館の方がとっても僕の気持ちに理解がある方でして、自分は何故海外に住みたいかとか将来のビジョンの話をしたらイタリアに行く事を勧められて一路マルペンサに行きました。  さすがにこんな調子でしたのでなかなか環境のイイ語学学校には入れてもらう事が出来ず困っていた所、ミラノのとあるバーでサルデーニャの人に出会って彼 の故郷で生活する事に決めました。  ところが日本人がいなくて珍しいのか子供がやたら絡んでくるので参ったのと、日曜はトマトソースの臭いが朝から凄くて始めは馴染 めませんでしたが再びミラノに戻る時にはちょっと寂しいものがありました。
さて再びミラノに戻った10月はコレクションの時でして僕は自分の出演しているビデオ片手に片っ端からエージェント巡りの毎日でした。この時はイタリア語も少々分かっていたので問題は無かったのですが、ビザの問題があってなかなか簡単にはいかなかったです。しかも後で分かった事なんですがサルデーニャにいる時にイタリア語を教えてくれたのが島の子供達なのでいわゆる「でちゅまちゅ」言葉を大人の僕が話すので、長い間オカマと間違われいてたんです(笑)。
「ちゃんとした言葉を習いなさい」というエージェントの言葉を貰って帰国して再びミラノに帰りましたけど最初に一緒に暮らしたルームメイトは今の言葉で言う「ギャル」でして今度はギャル言葉を習得してしまいまたオカマ疑惑が出たのは言うまでもありません。